2015.01.08 Thursday

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    2012.07.31 Tuesday

    鬼師が遺した飾り瓦   神農と不動明王(長野市)   

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      長野市若穂川田で珍しい人物瓦に出合いました。谷街道川田宿から少し離れた古い集落にあります。


      民家の小屋根に、ありました。これまで見たことのない人物瓦です。瓦鍾馗研究家の服部正実さん(京都府在住)に鑑定していただきました。


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      「この角をはやしたようなおじさんは『神農さん』で農業や薬草の神様です。瓦になって屋根にあがっているのは初めて見ました」と教えていただきました。


      草を噛んで薬効を確かめている姿があれば、神農さんを表した可能性が強いということです。


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      そして、大棟に載っていた大きな装飾瓦です。背に炎が上がっているので「閻魔大王かな」とも思ったのですが…、


      服部さんは「閻魔大王ではなくて『不動明王』で両側にいるのは、セイタカ童子とコンガラ童子です。これも僕は見たことがなく非常に珍しいものだと思 います。

      とにかく長野には関西にはない飾り瓦が多くあるのがわかりました。それも凝ったものが多く、それだけのものを作れる腕の職人がいたということですね」と、明確に答えてくれました。


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      玄関の上に在った陶製の飾りもの。髭もじゃ顔から「鍾馗さん?」と思いましたが、これについて瓦鍾馗に詳しい小沢正樹さん(愛知県在住)は「口の開け方から、獅子頭では?」といっています。


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      このお宅には実に多彩な飾り瓦があり、別棟に宝珠がありましたし…


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      小屋根には大黒天も載っていました。神農といい不動明王の飾り瓦といい、こちらのお宅は飾り瓦に造詣の深い宅なのでしょう。




      2012.07.30 Monday

      鬼師が遺した飾り瓦   孔子と孟子(安曇野市)

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        安曇野市穂高・宮城にある有明山神社の手水舎の屋根に、浦島太郎の装飾瓦が上がっていることについて以前書きました。

         

        その反対側の参道に面した側に、別の一対の飾り瓦があります。少し離れた神社社務所で「孔子と孟子ですか?」と聞くと「浦島太郎の一代記を起承転結で表している」とのこと。


        しかし、衣冠からして唐のころの古代中国の正装で、どう見ても浦島太郎には見えません。それで、独断で「孔子と孟子」としてご紹介します。


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        こちらが孔子ではないかと思います。というのも、角度を変えて見てみると、鳩と思われる鳥が足元にいたからです。「鳩に三枝(さんし)の礼あり、烏(からす)に反哺(はんぽ)の孝あり」という格言が思い浮かびました。


        小鳩は親鳩より三本下の枝に止まるという礼をわきまえ、烏は養育してもらった親の恩に報いるために年老いた親烏の口に餌を含ませてやる−というような意味です。


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        すなわち、礼儀と孝行を重んぜよという儒教色の濃い教えと言ってよいと思います。孔子の弟子に曾参(そうしん)という親孝行者がいて、孔子はこの曾参の姿を見て教えを説いたということです。


        ですから、これは孔子の瓦像と独り納得しています。


        そして、こちらはわが子の健全な成長にはよい環境を選ぶことが大切という、あの「孟母三遷の教え」、あるいは「断機の戒め」の母のもとで大成した孟子の姿を表しているのではと思うのです。


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        こうした母の教育感に感謝し喜ぶ、後世の孟子に見えてくるのですが、いかがでしょうか?

             

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        2012.07.29 Sunday

        鬼師が遺した飾り瓦   大手門にあった天女瓦(安曇野市)

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           堀金・南原のAさん宅の正門の屋根に、珍しい羽衣をたなびかせた天女の飾り瓦があります。


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          アップすると、実に柔和な表情が見てとれます。瓦は野ざらし状態になりますので苔蒸していて、作られた年代の古さがうかがい知れます。

          長い年月のなかで左の手首が破損して無くなっています。手首があると、この天女はどのような所作をしていたのでしょうか?

          おそらく横笛をもって美しい音色を奏でていたのではないでしょうか。ですから、横笛も欠落したのではないかと…。

           


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          天女がいるのは、この門の上です。分かりますでしょうか?

          実はこの門、由緒あるものです。国宝になっている松本城の旧大手門なのです。国宝指定になる以前の明治年代、民間に払い下げられAさん宅に移築されたという経緯があります。



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          その記録も残っていますし、鬼瓦部にある「離れ六つ星」の家紋が裏付けています。この家紋は、松本城最後の藩主だった戸田家の紋章になります。

           


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          さらに、この大手門を遠くから俯瞰すると、このお宅が屋敷林であることが分かります。屋敷林とは、敷地の周りに樹木を植え込んでいる伝統的な建築空間で、屋敷森ともいいます。


          樹木が冬の風雪から母屋をはじめとする家屋を守り、夏の暑いときは木陰が強い日射しをさえぎってくれますので涼やかに暮らすことができます。


          安曇野を代表する昔ながらの景観で、今でもあちこちに残っています。富山県・砺波平野の散居村、埼玉から多摩にかけての武蔵野の丘陵地帯でも見ることができます。



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          このお宅の前には、二十三夜塔、庚申塔などの民間信仰の石碑も残っていますし、遠くに北アルプスの秀峰・常念岳が望めます。

           


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          周りは豊かな田園が残り、のどかな安曇野の風景のなかに天女がいます。




          2012.07.28 Saturday

          鬼師が遺した飾り瓦   蚕を守った猫づら(安曇野市、千曲市、小諸市)

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            安曇野市豊科・田沢の土蔵に併設した物置の軒先に、こんなデザインの瓦が飾られていました。何に見えますか?   

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            猫面(ねこづら)という鬼瓦の一種で、猫の顔を模っていることから、この名が付いたということです。


            「なぜ猫顔の瓦が軒先に?」に答える資料があります。


            「鬼面や鍾馗とはその性格が異なりますが、外からの侵入を防ぐという意味では、猫づらもその仲間といえ ます。猫づらは棟の端を止める鬼瓦よりも簡略な瓦で、その姿が猫の顔の形に似ていることからその名があります。養蚕農家ではネズミ除けのまじないとしてこ の猫づらをのせました」(『信州の瓦屋と三州の渡り職人〜屋根瓦は変わった』 長野市立博物館発刊)   


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            安曇野はじめ信州はかつて養蚕が盛んでした。比較的短期間に現金収入が得られるということもあり農家の副業として「お蚕さま」が飼われていました。   

                


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            昭和31(1956)年当時の蚕を飼っていた農家の写真です。


            一家総出の仕事ですが、写真説明では「かき取ったマユをケバ取り機にかけて、汚れたマユを選別する。このあと乾燥して出荷する」とあります。


            猫の顔に「水」の文字を竹べらで刻み、猫の目鼻に見えるデザインにしています。


            蚕室が火災に遭うと現金収入の道が閉ざされてしまいますので、水に火除けの願いを込めて猫の目鼻を描いています。



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            しかし、日常的に養蚕農家を悩ませたのは、ネズミによる食害だったといいます。蚕の卵はもちろん、幼虫や蛹(さなぎ=繭玉)まで当たり構わず食べてしまったということです。


            このため養蚕農家では、ネズミの天敵である猫を飼って被害の防御に努めたり、猫面瓦をお呪いとして飾ったのです。



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            今ではすっかり衰退した養蚕業ですが、養蚕技師が設計した 稚蚕所(ちさんじょ)が安曇野市堀金に残っています。


            床が高く、床下に炉を切り、薪で暖めて飼育したということです。 屋根に換気塔がつけられています。



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            善光寺西街道の旧桑原宿(千曲市)で見かけた猫面瓦です。


            こちらの猫面の顔には紋様が刻まれています。何の模様か分かりません。



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            さらに小諸市内で見かけた猫づらには、菊花と波があしらわれていました。


            瓦鍾馗の研究の第一人者・服部正実さん(京都市在住)の話では、滋賀県内で猫の顔の部分に帆掛け船を彫ったものを見ているそうです。いろいろなバリエーションがあるようです。


            今でこそ猫面瓦の数は少なくなって目にする機会も多くはありませんが、かつては全国の蚕室の軒にたくさん見ることができたのかもしれません。



            * 白黒写真は「懐かし写真館 昭和の街角 大町 安曇野 北安曇」(郷土出版社)から撮りました。




            2012.07.27 Friday

            鬼師が遺した飾り瓦   輪違いの紋様(安曇野市)

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              今回は 鬼師の作った作品というより瓦葺き職人の技を見ていただきます。この職人技ともいえる幾何学模様の美しさを集めて見ました。

              屋根の一番高いところを大棟といいますが、その大棟瓦の下に半丸瓦を交互に上向き下向きに重ねて並べています。この横に長い部分を「輪違い」、あるいは「棟込瓦」と呼びます。


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              半丸瓦の側面を見せて、組み方を工夫しながら幾何学的な模様をかたどっています。

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              この輪違いをよく見ると、瓦葺き職人が創造を凝らしたさまざまな意匠を考えたことが分かります。     

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              二段から八段くらいに組み、重ね方を変えることによりバラエティーな造形模様ができ上がります。     

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              同じ二段組みであっても、半丸の大きさによって見た目の印象が大きく変わってきます。

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              この屋根は、六段で1組の輪違い文様を作っています。


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              輪違いといえば、家紋に「輪違い紋」があります。2個以上の輪が互いに交差して、半ば重なってできた文様を意匠しています。

               

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              こちらは、さらに七段に組んでいます。


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              屋根の桟瓦と熨斗(のし)瓦部の輪違いの造形美を見ると、名もない瓦葺き職人が葺き替え仕事の経験を通して得た美の創造者にも思えてきます。        

               



              2012.07.26 Thursday

              鬼師が遺した飾り瓦   文字瓦とマーク(安曇野市、松本市、筑北村)

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                文字瓦は「水」だけとは限りません。            
                「水文字瓦」で書いた矢ノ沢消防分団の隣りで、珍しい文字瓦に出会いました。

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                矢ノ沢地区は明科の山間部になります。そこの子弟たちが通った旧矢沢分教場の建て物が残っています。


                明治40(1907)年に上川手小学校の分教場が建てられ、大正6(1917)年にここに新築移転し、昭和30(1955)年まで使用されていました。


                ですから、この建て物は大正期の建築物になります。そこの鬼瓦に…



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                學」の文字が入っています。「學」は学の異体字ですが、今はほとんど使用されません。それだけに年代を感じさせます。


                松本市里山辺に長野県宝に指定されている旧山辺学校校舎があります。


                明治18(1885)年に建設された和洋両様の建築様式を採り入れた校舎です。現在は「山辺学校歴史民俗資料館」として、この地域の教育、産業、生活文化、祭りなどの資料展示を行っています。

                 

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                かつてこの地域は地域産業として瓦業も一時期盛んだったといいます。


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                千鳥破風の玄関に「黌」の文字瓦がさん然と輝いています。



                「黌」の文字瓦でもう一つ。松本市四賀の会田宿交差点の坂道を登ると、古い木造校舎が保存されています。旧会田中学校で、開校していた50年の間に、この校舎で6千2百人が学んだそうです。


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                道を挟んだ向かい側に会田小学校があります。その一部にやはり古い木造校舎があります。


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                この校舎は現在も使用されているようです。その入り口の鬼瓦に…


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                學」の文字です。この鬼瓦で学びの精神注入といったところでしょうか。

                下は安曇野市豊科・吉野の不動尊堂の文字瓦の上に、枝垂れ桜が咲き誇っていました。



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                筑北村(旧本城村)の中心部に民俗資料館があり、そこの鬼瓦に「登記」の文字が刻まれています。


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                この地域の登記所であった跡を資料館として使用しています。



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                その近くには、明の文字瓦もあります。明朗登記をアピールしたのでしょうか。


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                JR篠ノ井線・西条駅近くの今は廃業されたガソリンスタンドの一角に屋号を刻んだ大きな瓦が置いてありました。丸に本の文字が読み取れます。


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                豊科・真々部の小さな社の裏手に、今は使用されず取り外された「奉」の文字瓦がありました。


                新しく葺き替えた時に外されたものですが、初めに社を造営した時に奉納の意味を込めて「奉」の文字を刻んだのでしょう。



                文字ではありませんが、やはり明科の中心地区に、郵便局のマークが刻まれた鬼瓦を見つけました。



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                今は閉じた郵便局で、下がその全景です。民家を改造していますので、簡易郵便局だったのでしょう。「昭和」の匂いの残る建て物です。


                 

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                同じ〒マークの瓦は、現役で営業している明科・木戸簡易郵便局でも見ることができます。


                余談ですが、郵便局が地図記号でなぜ〒マークで表されるかご存知ですか? 〒は片仮名のテに似ていますよね。郵便事業はその昔、逓信省(ていしんしょう=郵政省の前身)と呼ばれた省庁が管轄していたことから、その頭文字「テ」を取って図案化したそうです。


                豊科・本村の大日如来堂にある卍マーク。卍印は地図で表す寺院のマークですが、ここの場合は、紋章に当たる寺章(左万字紋)を表しています。



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                2012.07.25 Wednesday

                鬼師が遺した飾り瓦   水文字(安曇野市)

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                  以前、鬼瓦の変遷について書きましたが、明治以降は火事から家を守るために「水」の文字瓦が多く用いられるようになり、今でもそれは変わらないようです。

                  安曇野市指定の有形文化財になっている穂高・等々力の「等々力家住宅」の鬼瓦です。鬼瓦がいつのものかは定かではありませんが、建物は江戸中期のものですので、鬼瓦もそのころのものかも知れません。

                   

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                  明科・荻原の民家ですが、力感のある水文字を感じます。


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                  こちらは、屋号の上に両側の雲にはさまれる形で、水文字がデザインされています。


                   

                  Photo_2                                  (穂高・新屋の民家)


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                                             (穂高・矢原の民家の蔵)


                  民家の蔵の上の水文字の鬼瓦に、鳩がとまっていました。

                  左の隅にもう一羽、顔を出しています。通るたびに鬼瓦の近くに鳩がいるので、巣があるのかもしれません。


                       5                        (堀金・田多井)


                  民家だけでなく、消防分団の倉庫の屋根にも水文字の鬼瓦がありました。消防団の施設だけに、説得力と趣があります。


                   

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                   067                                                         (明科・矢ノ沢)


                  最近の水文字はどっしりとした太文字で、金箔を貼ったものなども見受けられます。

                   

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                  2012.07.24 Tuesday

                  鬼師が遺した飾り瓦   家紋(安曇野市)

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                    鬼瓦には、家紋を意匠したものがいろいろあります。

                    下は、「五枚笹」の竹笹家紋をさざ波が取り囲む豪華版です。


                         2                              (穂高・新屋の民家)


                    こちらも豪華な雲水に囲まれるように、「丸に梶の葉」の家紋がデザインされています。梶の木は、楮(こうぞ)などと同じく和紙の原料として使われてきたそうです。


                         196                              (豊科・新田の民家)


                    荒波が、梶の葉の紋章に押し寄せている意匠です。「根付き三本の梶」紋は、諏訪神社の神紋になります。ですから「諏訪梶の葉」とも呼ぶそうです。



                     4_2                            (三郷・及木の伍社)


                    こちらも同じく「諏訪梶の葉」の紋章です。甲信越地方の豪族で、特に諏訪神社を信仰する人たちが用いたということです。


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                    「丸に九枚笹」の竹笹紋の周りを、四個の菊花が装飾されています。菊花があしらわれると、一段と豪華さが増してくるようです。


                         Photo_3                              (豊科・田沢の民家)


                    こちらは、「梅の花」紋の鬼瓦の上に狛犬が魔除けに置かれています。そして、後方の棟込にも紋章がはめ込まれています。


                    梅は、学問の神として知られる菅原道真を祀った天神様の紋章として知られています。 


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                    金箔の「庵に木瓜」の庵紋が輝いています。周りを波が囲んでいるのは、火事に遭った場合、怒涛の勢いで押し寄せる波が鎮火するという願望を表しています。


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                    これは、梟(ふくろう)をデザインしているのでしょうか。その胎内に「一つ楓」の楓紋が収まっています。さらにその前の鬼瓦部に「右三つ巴(ともえ)」の巴紋があります。


                    巴紋は神社に多用されていて、神社関係の人の家紋にもなっています。巴とは渦巻きのことで、火災予防のお呪いとして、民家の瓦や土蔵などでもよく見かけることがあります。 


                         107_2                              (明科・荻原の和泉社)


                    穂高・矢原の土蔵の鬼瓦の上に、鳩がいました。    


                    厚い鳩胸を張って、遠くを見つめています。鳩の下に「丸に三つ追い柊(ひいらぎ)」の家紋が入っています。

                     

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                    2012.07.23 Monday

                    鬼師が遺した飾り瓦   屋号(安曇野市)

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                      商店や歌舞伎役者などの家の呼び名や、農村などで姓の代わりに使われる通り名を屋号といいますが、瓦にも屋号を刻んだものを見ることができます。


                           036                        (明科・塩川手の地蔵堂)


                      屋号といってもいろいろありますが、瓦でよく目にするのは記号と文字を組み合わせた紋章(印)です。


                      上の写真は、一と十の間に∧(山)が入っています。


                      こちらは、カネ印と丸印の間に田の文字が入っています。 


                           034                                (明科・竹の花)


                      そして、以前にも掲載した写真ですが、水文字の下に屋号のカネに春の文字が刻まれています。



                       Photo_2                                  (穂高・新屋)


                      過去記事の「浦島太郎」にも印があり、「丸+文字」の形式で文字部分に元の字が入っています。


                           Photo                                    (穂高・宮城)


                      こちらは、丸の中に、三が入っています。今は廃業した茶舗の蔵にありました。やはり屋号は、丸+文字で表すスタイルが多かったようです。


                           190                                     (豊科・新田)


                      丸に正の文字が入っています。かつてワサビ景気でにぎわった料亭の屋根にありました。今は「売物件」の掲示が貼りだされていました。


                           065                                    (穂高・常盤町)


                      下は、名字の周りを豪華な雲水で固めた鬼瓦の下に、丸に八の屋号がついています。   

                       

                          Photo_2                                    (明科・大足)


                      特定の名字の世帯が集中している地域は、郵便物や宅配便などの誤配を避けるために屋号を使用していることが多くあります。


                      ですから、遠くからでも分かるその家を識別する記号といっていいかもしれません。


                       

                      2012.07.22 Sunday

                      鬼師が遺した飾り瓦   菊花(池田町、安曇野市)

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                        菊の花をデザインした飾り瓦を見かけることがあります。

                            020                                                 (池田・渋田見の民家)


                        菊は、平安時代に中国から伝来し、当時は延命長寿の花として用いられたそうです。菊の花を浸した酒を飲めば、長生きするという中国の言い伝えも一緒に伝わって来たということです。


                             065                            (明科・潮の民家)

                         

                        屋根瓦の菊花も、こうした願いが込められているのでしょう。



                          010                          (穂高・新屋の民家)


                        菊花といえば、後鳥羽上皇が菊花を好み、日常品にまで菊花紋を入れていたということです。

                             Photo_2


                        その後、皇室の私的な専用文様になっていたものが、明治2年になって16弁の菊花は皇室の紋章として制定されてから一般の人の使用はできなくなりました。


                        下を流れる水と菊花を組み合わせた楠木正成の家紋は、菊水紋として有名ですが、この瓦の意匠は、水ではなく波になっています。


                             3_2                           (穂高・狐島の民家)


                        やはり、鎮火・防火の思いがデザイン化されているのでしょう。 


                             088

                                                (堀金・田尻の民家)


                        もう一つ。菊花の豪華版です。



                          Photo_2                                                    (明科・大足の民家)


                         



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