信州の鏝絵に見る左官職人の技 養老の滝伝説(茅野市)
養老の滝伝説をご存知でしょうか? 養老の滝といっても居酒屋チェーンのアレではありません。岐阜県養老町に伝わる民話です。
それを題材にした鏝絵を茅野市御蔵田で見ました。若者が柴刈りの斧(おの)を腰に、そして流れ落ちる滝水すなわち酒を瓢(ひさご)に汲んでいます。
この孝行息子、左利きのようです。瓢を左手に持ち、差している斧も左の腰です。
この家の当年86歳になる家主さんが庭にいました。立ち姿で撮影するには遮るものがあることを知って、納屋から脚立を出してくれました。
「おらのオヤジさんが造った蔵で、百年は経っているだ。おらは小さい頃からこの絵を見て育っただ」と話してくれました。「袴(はかま)の青色はもっと鮮やかだっただが、だいぶ色が褪せたなあ」とも。
調査によっても鏝絵が数多い大分・安心院、島根、岡山県下などでも養老の滝伝説を描いた鏝絵はないようですので、この孝子伝説に因む絵柄は、ここだけかもと思っていたら…。
後日、同市北大塩を巡っていたとき 、もう一点の「養老の滝」説話を描いた鏝絵に出合いました。
こちらの宅は養蜂業を営んでいるようで、蔵の横に整然と巣箱が積んであります。
御蔵田の鏝絵は左利きのようでしたが、こちらは滝の左岸に構え右手ですくっています。斧も右腰に付けています。
全国的に類例のない養老の滝説話に因む希少な鏝絵が、茅野市に2点在ったことになります。
* 養老の滝伝説について詳しく書かれたブログはこちらです。
信州の鏝絵に見る左官職人の技 天然痘除けの猩々(原村)
広い庭の奥まったところにある蔵に、遠目から鏝絵らしきものに視線が止まりました。家人に許しを得て蔵にまわったところ、すばらしい鏝絵に巡り合えました。蔵の4面に鏝絵が描かれているのです。
入り口の胴に迫力ある龍が踊っています。龍は雲を呼び、雲は雨を降らすことから火除けの祈願を表しています。
左側の妻に二股大根とネズミの絵柄です。ネズミは大黒さまの使いで神獣とされます。
二股大根は大黒天や歓喜天(聖天)を祀っている神社などにお供えされることがあります。米俵に乗った大黒さまは男性のシンボルを、そして二股大根は女性の下半身を表して夫婦和合、子授け、子孫繁栄を願った信仰があり供物として供えるわけです。
また農村では、二股大根もネズミも子孫繁栄に加え、田畑の神に五穀豊穣を願って飾られた風習があります。
裏手の庇の下にブドウです。ボタニカルアートのような写実的な仕上がりです。
ブドウの蔓や房状になるたくさんの実に子孫繁栄の願いを込めています。
そして右壁の妻に猩々(しょうじょう)です。猩々は中国での想像上の妖怪で、人の言葉が分かり、酒が好物で顔はいつも赤ら顔、体毛まで紅色をしているといいます。
日本に伝来してから猩々は、大酒飲みでどれだけ注いでも尽きることの無い徳利を持ち、幸運をもたらす福の神とされます。
医療が発達していなかったころ、人々に恐れられた病に天然痘(=疱瘡)がありました。天然痘ウイルスを病原体とする感染症の一つです。
非常に強い感染力を持ち、また致死率も高いことから、昔はこうした疫病が集落に入って来ないよう辻々に、あるいは各戸のあちこちにお呪いをしました。
赤は古くから悪霊祓い、疫病除けの御利益があると見なされてきた色ですが、一説によると猩々は酒を飲んで赤い顔になっているところから疱瘡除け・天然痘除けを願って描かれたといいます。
亀も一緒に酒を飲んでいます。日本には海亀が浜辺で産卵し海に帰るときに酒を飲ませて帰すという風習があります。これは亀がめでたい動物で、海の化身と考えていたことによるそうです。
ところで、この壁に亀は何匹いるでしょうか?
そうです。左上の妻壁の外に子亀がいて6匹です。子亀は酒を飲めませんので、遠くへ遊びに行ってしまったのでしょうか。これを描いた左官職人さんのユーモアセンスに拍手です。
鏝絵が数多く残る大分県には、7例の猩々が残っているという調査がありますが、長野県内で猩々を見たのは、青木村の元造り酒屋に飾られていたものに次いで2体目です。
蔵は先々代が建てたもので150年以上前になるということですので、これらの鏝絵も描かれてからその年月を経ています。風雨にさらされながらも鏝絵の色が褪せていません。
信州の鏝絵に見る左官職人の技 蔵窓を担ぐ大黒天と恵比寿(茅野市)
鏝絵が見られる各地の調査書を見ると、図柄として多く見られるのは七福神のうちの大黒天と恵比寿が圧倒的に多いようです。
やはりこの諏訪地方でもそうなのですが、なかでも実にユニークな、おそらくここでしか見られない大黒天と恵比寿の絵柄があります。
このように蔵の窓を二柱が担いでいます。この鏝絵を見た時は、しばし呆然として見入ってしまいました。
こんなおもしろい図柄を考えつくなんて、なんと豊かなデザイン力を兼ね備えた職人さんであることか。
恵比寿の膝元の魚籠(びく)から鯛の尻尾が覗いていて…
片手で蔵窓をささえる大黒の足元に、打ち出の小槌があしらわれています。
ふくよかでほほ笑ましい表情に加え、なんと心憎いばかりの小道具の配置でしょうか。
ユーモア感たっぷりの、なんともにっこりと笑みがこぼれるような鏝絵といえるのではないでしょうか。
信州の鏝絵に見る左官職人の技 皇大神宮社の献額(茅野市)
茅野市宮川の安国禅寺の隣に皇大神宮社があります。
鳥居脇に安国寺史友会 という郷土史研究会が次のように案内板に記しています。
江戸時代の諏訪藩主手元絵図には、こ の社は「鎮守」と記されている。安国寺村の産土神であったことをうかがわせ、祭神は天照大御神である。(中略) 元禄十六(1703)年の石燈籠二基が現存し ている。明治二十六年に拝殿が建設され、例祭は九月十七日であった。十月一日の甘酒祭は村中を楽しませ、子供たちによる火祭の場所でもあったが、戦後しば らくして廃絶した。
拝殿が建設された明治26(1893)年に奉納された鏝絵額が本殿横にあります。献額を保護するための網が張られていますが、制作後120年ほど経った今でも、大して色褪せることなく掲げられています。
献額に残された銘に中村八五郎という左官職人が氏子45人からの依頼を受け、制作したことが分かります。
信州の鏝絵に見る左官職人の技 信濃国分寺の天女(上田市)
信濃国分寺境内の堂塔伽藍で、もう一つ鏝絵があるところがあります。
地蔵堂で、江戸初期の延命地蔵像と閻魔大王、冥界十王を祀っているということです。
ちなみに十王は、冥界の住人の裁判官で七日ごとにそれぞれの裁判官である王が審判すると言われます。故人の魂が少しでも早く極楽へ行けるようにするため、遺族が法要を営むことによってそれを助けるという信仰が生まれました。
閻魔大王は、亡者が六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の何処に生まれ変わるかを決定する力を持っているということから特別に知られているわけです。
その正面の白壁部分に対の飛天が掛かっています。
オリエントの神々は翼を持った姿で描かれるそうですが、仏教の飛天は翼を持たず天衣(はごろも)をまとった女性像として描かれることから天女と呼ばれます。
こちらは、羽衣を身に着け空を飛びながら、琴を奏でているようです。
飛天は、仏教では阿弥陀如来などの浄土の空を飛びながら天の花を散らし、あるいは天の音楽を奏し、あるいは香を薫じて仏を讃えるということです。
もう一点は、縦笛を口にしています。天の音楽とはどんな音色なのでしょうか? 聴いてみたいものです。
地蔵堂は昭和57(1982)年に再建しているということですので、この2点の鏝絵もこの頃のものかもしれません。
信州の鏝絵に見る左官職人の技 信濃国分寺の謎の鏝絵(上田市)
上田市にある信濃国分寺、正式には天台宗八日堂信濃国分寺ですが、ここの本堂の奥に宝蔵と呼ぶ蔵があります。
その漆喰壁いっぱいに鏝絵が描かれています。絵全体が金色を使い、時折陽射しを受けて輝いて見えます。
この鏝絵、なに故に国分寺に鏝絵なのか。誰(何という左官職人)が描いたのか、はたまた何を描いたものか、どんな意味を持っているのかなど判然としない謎が多くあります。
分かっているのは、この蔵が造られたのが明治30(1897)年ということくらいです。 すなわち、この鏝絵の制作年が分かっているだけということです。
110余年の星霜を経て今もしっかりと遺っています。
鏝絵は鏝を使って漆喰を盛り上げ、彩色した漆喰を上塗りします。乾燥しきった壁では付きが悪く、壁が生乾きの間に一気に仕上げなければなりません。
こうしたことからすると、よくこれだけのものを描いたものだという技量の確かさ、あるいは卓越した芸術性の高さに目を奪われてしまいます。
杖を手にした仙人でしょうか、いや身成りからいって僧侶でしょうか。
手にしているのは杖でしょうか、蛇のようにも見えますし、坐っている前にあるのは供物なのでしょうか?
下の台座は、馬の横顔を模っているようにも見えます。
その視線の先に、身体は人間ですが、背に羽がある動物が飛んでいます。顔は鳥です。これは一体どういうことでしょうか。
壺を持った僧でしょうか?
龍を操っているのでしょうか、それとも親しげに会話しているのでしょうか?
アラジンと魔法のランプの話を思い浮かべてしまいます。
明治の後期に、この作者は何を想定してこの鏝絵を遺したのでしょうか?
じっと見ていると理解しがたい造形、分からないことが、また増幅されてしまいます。
後日、中国の故事などについて詳しい服部正実さん(京都府在住)から、この鏝絵をご覧になった感想とご指摘をいただきました。
「金色の鏝絵とは豪勢ですね。左右にいる二人はおそらく僧で、ひょっとしたら同一人物が一画面に描かれている可能性もあります。
右の人物は鉢から竜を出しているのか、鉢に竜を閉じ込めているのか、どちらかだと思いますが、わからないのは左の鳥人間です。この異様なものは一体なんでしょうね。
おそらく中国の天台宗の高祖か何かの仏伝に出てくる話でしょうが、よくわかりません。なお、左の僧の持っているものは『如意』というものです」
となると、この鏝絵をモノにした職人さんは難解な仏伝をよく理解し鏝一本でこれだけの大作を描いたことになります。博学で聡明な職人さんだったのでしょうか?
信州の鏝絵に見る左官職人の技 諏訪大社上社本宮の献額(諏訪市)
「お諏訪さま」と称され親しまれている諏訪大社は、全国に一万社余りの分社があるそうです。日本最古の神社の一つで、平安時代にはすでに信濃国一之宮として敬われていました。
諏訪大社上社本宮には、額堂と称する奉納された絵馬や額を一堂に会した絵馬堂があり、全国の崇敬者が寄進した20点余りが飾られています。
絵馬は人々が願い事を祈願したり、その願い事が叶って報謝の意味で奉納されました。
その昔は神が乗るための馬が献上されていたこともあったそうですが、生きた馬を献上するといっても経済的にも大変な負担ですし、受けた寺社にとってもその飼育に負担が掛かることから、時代とともに木札を奉納するように形式が変わったといいます。
献額には、人々がよく知っている物語の主人公や英雄が描かれました。
上のような牛若丸と弁慶の戦う場面や馬上で長刀を振りかざす巴御前などの武者絵が多く見られますが、酒や病気、悪癖などを断とうと願掛けを行う際はそれに因んだ絵柄を描いたものがあります。
下の鏝絵による献額は、武将が我が子に読み書きを教えている絵ですが、学業成就を願って奉納されることも多かったようです。
上社本宮の額堂には、顔料を用いて描いた額絵のほかに上の献額のような鏝絵も数点見られます。
絵馬堂内には立ち入れませんので遠目から見るようになり鏝絵と断定できないものもあるのですが、拡大すると凹凸があることなどから鏝絵であることを伺わせます。
願主が何を願い、また大願成就に報いる気持ちを現わしたのかを推測しながら鑑賞するのも絵馬を見る楽しみ方かもしれません。
信州の鏝絵に見る左官職人の技 小川天香の作品−2(諏訪市)
「一生稽古」を座右の銘とした小川天香は、自ら制作した作品に押す落款にもこの言葉を用い、仕上げた作品は一点も売ろうとしなかったといいます。
しかし、社寺には奉納する形で大作を寄贈しています。前回見た頼岳寺の十六羅漢は、大正6(1917)年の作ですが、それよりも先に奉納した献額が諏訪大社上社本宮に今も遺っています。
奉納額の右に小川善彌の銘が刻まれています。善彌は本名、天香は雅号ですが作品には実名を記しています。
上の諏訪・上社本宮に献額したのが、天香23歳の明治34(1901)年です。
ところで、この図はいったいなんでしょうか?
水車小屋の見える山道で、湯桶を頭にした色白の美人の背後から田舎侍が着物の袖に手をくぐらせ露わとなった女性の乳房を掴もうとしています。
今なら痴漢行為でお縄をいただくような様子を描いていますが、由緒ある社に奉納する献額としてはいかがなものかと考える向きもいるのではないでしょうか。
小川天香が漆喰彫刻の道を志して上京したのが、日清開戦の明治27(1894)年で天香16歳の年です。5年後の同32年に伊豆の長八の高弟・今泉善吉に弟子入りしています。長八が他界して10年後のことです。
天香は、その後、東京・帝国劇場の天井壁画を描き、千葉県庁や新潟市役所の壁塗りを手掛けたり、京都七條駅の御便殿の装飾の仕事をしたという記録が残っています。
信州の鏝絵に見る左官職人の技 小川天香の作品−1(茅野市)
茅野市にある頼岳寺は、境内から一望できる諏訪湖が鵞鳥(ガチョウ)の姿に似ていることから山門に「鵞湖禅林」の額が掲げられています。住職に来意を告げて本堂へ入れていただきました。
一対の額装された鏝絵が祭壇上の左右に飾られています。
この見事な出来栄えと迫力に圧倒されカメラを構えるのも忘れ、しばし見入ってしまいました。
羅漢の一人ひとりの表情が克明に描かれています。手にしている仏具なども写実的ですし、虎も凄まじいばかりの迫力で迫って来ます。
鏝絵は絵筆の替わりに鏝を使い、短時間のうちに漆喰土を塗り重ねて彩色し創り上げますが、小川天香が遺した大作「十六羅漢像」は左官職人の真骨頂といえます。
フレスコ画と比べても全くの遜色を感じさせない日本独自の芸術作品、誇るべき力作といえるのではないでしょうか。
羅漢とは、 お釈迦様の弟子の中で一切の煩悩を断って修行を完成して悟りをひらいた尊敬するに値する高僧を指し、特に優れた代表的な16人の弟子を十六羅漢といいます。
十六羅漢は涅槃(ねはん)に入ろうとする釈迦から、永く現世にとどまり仏法を護持して衆生を救済せよといわれ、各地で仏法を守り伝えたといいます。
この鏝絵を描いた小川善彌(号は天香)といい、茅野市の出身で昭和25(1950)年に没しています。
天香は10代で左官になり、上京して今泉善吉に師事。今泉善吉は鏝絵の元祖・伊豆の長八こと入江長八の高弟です。ですから長八の流れを組む鏝絵作家といえます。
十六羅漢像は、天香が39歳の大正6(1917)年の作で菩提寺の頼岳寺に奉納したものです。現在、頼岳寺の本堂に扁額として飾られています。
信州の鏝絵に見る左官職人の技 旧造り酒屋の猩々(青木村)
瓦鍾馗があるとの情報を得て青木村へ向かいました。現地に着くと鍾馗さんと並ぶように白漆喰の蔵の妻に鏝絵があるではありませんか。夢中になって写していると、長屋門からこちらのご主人が顔をだしました。
挨拶もそこそこに、鏝絵に描かれているものは何かを尋ねると、酒を好物とする中国の伝説上の動物で猩々(しょうじよう)だといいます。
そして、今は酒店をやっているが元は造り酒屋で、鏝絵も酒にちなんで猩々を描いたのだといいます。詳しくはおばあちゃんが知っているということで紹介してくれました。
酒店の店番をしているおばあちゃんはかくしゃくとしていて、とても96歳には見えません。 客さばきも手際が良く、話もおもしろく記憶力も確かです。
そのおばあちゃんの話では、江戸末期から代々、造り酒屋だったそうです。しかし、太平洋戦争が始まってまもなくの昭和17(1942)年、原料の米を軍へ供出しなければならなくなり、村役場を通して造り酒屋廃業を促すお達しがあったそうです。
村には小さな酒蔵が数軒あったそうですが、こちらは初代村長の家柄、お上(大本営)に逆らえず廃業に追い込まれたということです。
酒造りのための機械や道具類は、軍機の燃料が必要とのことで松根油を採油するために使用され辛い風景だったといいます。
店の奥に大正4(1915)年に描かれた絵が額装されて飾られています。そのなかに、鍾馗さんも猩々も描かれているのが確認できます。
ですから、少なくもこのころにはすでにこちらの蔵にあったものということになります。
1世紀を通して、辛かった思いと歴史を猩々の鏝絵は見てきたわけです。
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