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2015.01.08 Thursday

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    2015.02.19 Thursday

    レンガ積み職人が遺した建造物 〜 千葉県編()  他に類例のない4連アーチのレンガ造水閘(松戸市)

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      坂川治水事業の歴史は古く、享保8(1723)年の河道の一部改修から始まります。

      数回の河道延長工事を行い自然流下が可能となったのは、天保7(1836)年に最下流の現在の場所に旧式樋門が造られてからのことです。

      これにより坂川流域の水害は著しく軽減されるようになります。


      Dsc_0634


      その後、明治37(1904)年に坂川普通水利組合がレンガ造樋門として造り替え、現在のような形になりました。

      河川横断方向に17m、縦断方向は13mあり、アーチ部は野積みのレンガ造と切り石積みからなっています。


      Dsc_0643


      樋門つまり水閘は江戸時代から明治時代にかけて木造や石造が主流で、レンガ造は明治中期から加わりその後鉄筋コンクリート構造が主流になります。


      Dsc_0622


      レンガ造の樋門は明治中期から大正中期までの約30年程度と短いものでした。

      柳原水閘のような4連アーチの大規模なものは現存する樋門でも類例のないものと言えます。

       


      Dsc_0628

       

      また柳原水閘は明治期のレンガ築造技術を伝える史料であり、治水事業の歴史を伝える施設といえます。



      Dsc_0626

       

      この水閘の設計者は井上二郎(1873−1941年)で、明治40(1907)年に鬼怒川水力電気事業や京浜運河工事の設計を手掛けています。


      また、手賀沼開墾の先導者としても知られます。



      2015.01.08 Thursday

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