<< ステンドグラスを見に行く  法廷での審理で公平を貫く姿勢を表現した裁判所内のグラス(愛知県名古屋市) | main | ステンドグラスを見に行く  風光明媚な三河湾を望む旧蒲郡ホテルのグラス(愛知県蒲郡市) >>
2015.01.08 Thursday

スポンサーサイト

0

    一定期間更新がないため広告を表示しています

    2015.02.06 Friday

    ステンドグラスを見に行く  GHQの接収でも改造から免れた旧本多忠次邸を飾るグラス(愛知県岡崎市)

    0

      岡崎市欠町の小高い丘の上にスパニッシュ様式の木造2階建て一部鉄骨造の瀟洒な建物があります。

      旧本多忠次邸です。


      Img_5674


      本多忠次(1896−1999年)は
      、先祖に譜代大名として三河岡崎を長い期間にわたって治めてきた家系で、本多家17代忠敬の次男として生まれます。


      父・忠敬の逝去に伴い兄・忠昭が18代目の家督を相続し、忠次は東京・世田谷の野沢に約1年の歳月をかけて邸宅を建設したのがこの建物です。



      Img_5683

       

      平成13(2001)年に岡崎市は本多家からこの建物の寄付を受け、同24(2012)年に移設・復元工事を終え公開しています。


      復元された旧本多邸は、敷地面積約2,280屐建築床面積約522
      屬燃梓僂浪虻にフランス瓦を葺き、南側に3連アーチのアーケード・テラス、東側に2階部まで続く半円形のベイ・ウインドウがあります。


      画像では見えませんが、西側の玄関には車寄せがついて重厚に見えます。


                                                 Img_5689


      外壁は色モルタルで仕上げていて、アーチや窓枠にはスクラッチタイルで装飾しています。

      建物内部は日本間と洋間があり、各所にステンドグラスやモザイクタイルの装飾が施されていて、見応えがあります。


                                                 Img_5747


      中央に廊下があり南側に応接間、居間、食堂があり、北側に台所、女中部屋、便所、納戸、浴室があります。


      忠次は周到な調査の上、敷地選定や建物の基本設計を自ら行い邸宅建築に当たっています。完成したのは、昭和7(1932)年、忠次36歳の時です。



      Img_5701


      ステンドグラスは各所に嵌入されているのですが、玄関口から入ってすぐの廊下から見えるのが蓮花が浮かぶ池で遊ぶオシドリとハクチョウを描いたグラスです。鳥類はいずれも番いでデザインしています。


      団欒室の窓に取り付けられています。
       


                                              Img_5749


      食堂の廊下側窓に取り付けられたステンドグラスの図案は、オリンピック聖火リレーで用いられるトーチをデザインしています。


      これまでに、昭和15(1940)年に東京で開催される予定だった第12回オリンピック大会について旧志賀高原ホテル(長野県山ノ内町、2013年11月27日付け)と三田商店(石川県金沢市、2014年2月1日付け)の掲載記事で取り上げました。



      Img_5761                (食堂欄間に取り付けられたオナガとバラを描いたステンドグラス)

      この旧本多邸のトーチをデザイン化したステンドグラスも、昭和7(1932)年に取り付けられていますので、この幻のオリンピックに終わった時代背景と深く関わっていると推測できます。



      Img_5694

                      

      忠次の先祖は徳川四天王の一人といわれた功臣の本多忠勝(1548−1610年)で、酒井忠次、榊原康政、井伊直政とともに徳川家康に仕え、その勇壮ぶりは「家康に過ぎたるものが二つあり、唐の頭(かしら)に本多平八」と適方からも讃えられたといいます。


      「唐の頭」は家康が趣味で集めていたヤクの尾毛を飾りに使った兜を指します。



      Img_5699


      忠勝は生涯において参加した合戦は大小合わせて57回に及んだそうですが、いずれの戦いでもかすり傷一つ負わなかったと伝えられる武将です。


      槍の名手で、その並はずれた武勇を織田信長は「花実兼備の勇士」、豊臣秀吉は「日本第一、古今独歩の勇士」と称賛したといわれます。



      Img_5762


      忠勝は上総(現 千葉県)大多喜10万石の譜代大名として取り立てられて以降、本多家はその後、伊勢桑名、播磨姫路藩など転封を重ね明和6(1769)年に三河岡崎藩5万石に落ち着き、以後明治維新までの約100年間岡崎藩を治めました。



      Img_5722

       

      最後の岡崎藩主となった16代忠直は明治2(1869)年、版籍奉還で岡崎藩知事となりましたが、同4年の廃藩置県で岡崎県ができると藩知事の任を解かれ、江戸下屋敷のあった東京・本郷区森川町に住まいを移します。


      17代を継承した忠敬は所有していた旧岡崎城一円の土地を岡崎市に寄付し、二人の子息のうち忠次の兄・忠昭が18代目の家督を継いでいます。



                 Img_5713

       

      湯殿の窓にブドウの実と葉を描いたステンドグラスがあります。


      忠次は植物採集や登山を趣味としていたそうです。


      旧本多邸のステンドグラスはこうした忠次の耆好を表すように、植物、動物、自然を採り入れているのが特徴ともいえます。

                                                 


      Img_5719

       

      湯殿はステンドグラスも見応えがあるのですが、タイル装飾もみごとです。相互に全体を引き立て合っているともいえます。


      浴槽は抗火石にモルタルでモザイクタイルを貼っています。陶器製の山羊の口から出た湯水は一度下の平らな部分で受け、段差で下の浴槽へ貯水して行くようになっています。


      左の小さな水槽(4枚上の画像参照)にも新しい湯水を貯め、上がり湯などに使用しました。



                                                 Img_5715


      浴室の上げ下げ窓にもステンドグラスがあります。


      水中を泳ぐ魚が図案化されていて、忠次は「竜宮」と呼んでいたそうです。



               Img_5723


      様々な色合いの魚や海藻類が自然光に輝く窓を見ながら浴槽にゆったり浸かっていると、確かに竜宮近くの海底が連想されてくるようです。



                                                 Img_5727


      これに合わせるように浴室のモザイクタイルも工夫されています。


       

                                                 Img_5728


      腰壁は肌色の角タイルですが、床は白とピンクのタイルが市松模様に貼られています。



      Img_5729


      浴槽のエプロンはモザイクタイルでリボン模様をデザイしています。



      Img_5730


      2階に忠次の書斎がありますが、その隣室にお茶室があります。お茶室全体がアール・デコ風にまとめられているモダンな部屋です。


      壁の出済み部分に取り付けた照明器具のデザインもアール・デコ調になっています。



                                                 Img_5740

       

      照明具底面、側面に色ガラスが入っていて、底面には同心円状に、側面には縦に桟が組まれています。


      忠次は色グラスが入った照明器具がお気に入りで、書斎での仕事の合間にこのお茶室でよく寛いだといいます。



      Img_5737_2


      東京・野沢にあった本多忠次邸は 戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)に接収されます。



            Img_5708                        (接収された東京・野沢時代の本多邸)


      戦時中も疎開することなく守り続けた自宅を、一時的とはいえ強制的に取り上げられるのですから忠次にとっては不本意で断腸の思いであったはずです。



      Img_5756                    (階段室に設置されているステンドグラス)


      忠次は建物に手を入れることは極力避けてもらいたい旨の手紙をGHQに提出し、自邸の保護を求めたという逸話があります。


       

      Img_5742


      それが功を奏したかどうかは分かりませんが、本多邸に居住したのはGHQ総司令官ダグラス・マッカーサー(1880−1964年)の顧問弁護士カーペンター夫妻で、大きな改造は行わなかったといいます。


      接収住居の多くが改造されたなかでこのような事例は稀であったと見られています。

       


      Img_5759

          

      本多忠次邸は玄関や湯殿、浴室、便所などの水周りの床にモザイクタイルが貼られています。


      タイルの色は部屋によって異なり、それぞれの模様も違っています。



                                             Img_5717

       

      玄関にモザイクタイル貼りの壁泉 があります。半円形の人造石研ぎ出し仕上げの手洗い器が付いています。


      手洗い器の上に半円状の壁面が奥まり上がドーム状になっています。この壁面水色のモザイクタイルが貼られています。

       

                                                   Img_5765


      中央部にライオンの顔をした陶器製の吐水口があり、手洗い器の右下の壁にある水洗レバーを回すと口から水が出るようになっています。



      2015.01.08 Thursday

      スポンサーサイト

      0
        コメント
        コメントする








         
        この記事のトラックバックURL
        トラックバック
        Calendar
            123
        45678910
        11121314151617
        18192021222324
        252627282930 
        << June 2017 >>
        PR
        Selected Entries
        Categories
        Archives
        Recent Comment
        Links
        Profile
        Search this site.
        Others
        Mobile
        qrcode
        Powered by
        30days Album
        無料ブログ作成サービス JUGEM