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2015.01.08 Thursday

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    2014.07.04 Friday

    鏝絵細工を探す旅 〜 黒漆喰を巧みに使い色彩効果が際立つ千光寺の蔵(富山県砺波市)

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      小杉左官の名工・竹内源造の遺した仕事を見る旅の最後は、砺波市芹谷にある千光寺です。

      砺波平野は庄川と小矢部川が造り出した扇状地に広がる農村地帯で、砺波市が中心都市になります。

      砺波平野の農村部では風や雨、雪の害から家を守るため周辺に樹木を植えて屋敷林を形成する景観をあちこちで目にすることが出来ます。地元では「カイニョ」と呼び、一般に散居村と呼称しています。

      この時季、田植え前の水を張った水田に亭々と伸びる樹木の姿と農家が映り、独特の光景を見せています。


      Img_4047


      尋ねる古刹・千光寺は、北陸でも最古の仏教寺院としての歴史を持つと言われます。


      一時は、皇室の勅願所として隆盛を極めましたが、永禄年間(1558−70)に越後の上杉謙信勢の兵火ですべて焼け落ちました。


      その後、豊臣秀吉が北陸平定の際に再建するものの江戸時代初期に焼失します。同中期になって加賀藩が支援に乗り出し、順次建物が再興されます。


      以降、火災に見舞われることなく今日まで繁栄を続けています。



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      観音堂に檀家の村人たちが寄進した扁額があります。


      扁額を制作したのは竹内源造で、檀家の人たちが千光寺の土蔵に描かれたみごとな鏝絵に感動し、源造に制作を依頼したという扁額です。



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      信仰心の篤い源造はこれを大いに喜び、寝食を忘れ制作に没頭したといいます。



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      奉納された作品は「布袋と福禄寿」と題され、ふくよかな布袋に子どもが馴染み片側の手で子どもの頭を撫で、もう片側の手に宝珠を手にしています。


      その宝珠を福禄寿が見つめ、布袋と何やら話し合っています。背に負った子どもの視線も宝珠に注がれています。



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      背景に雪を被った富士山と周辺の峰々を描き、これに朝日が差し込んでいます。松と釣瓶に水差しされた梅の花蕾も描かれています。


      1枚の奉納扁額のなかに、吉兆とされる題材を盛りたくさん描き切っています。



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      檀家の人たちが見て驚いたという源造が制作した鏝絵のある土蔵に向かいます。


      西蔵、東蔵の2戸前が並立していて1棟になっています。西蔵は天明5(1785)年、東蔵は文久2(1862)年に建てられています。


      外壁は明治末期に小杉左官の竹内組によって塗り直され、明治42(1909)年に完成しています。



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      源造は56年間の生涯に120点を超える作品を遺しています。このうち35点余りが制作年代が分かっていません。


      明治末年から大正5(1916)年までの記録がなく、詳しい制作年が不明になっています。



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      源造の年齢にして26歳から30歳までの期間になるのですが、詳しい制作記録がないのです。


      この間に、この千光寺の土蔵に描かれた鏝絵や奉納扁額をはじめ富山市東岩瀬のS家の「白拍子」、「琴高仙人」や、砺波市の元名越家土蔵にあり現在は竹内源造記念館に移築された「双龍」など評価の高い作品を手掛けています。

       

      千光寺の鏝絵は土蔵の塗り直しが終わった明治42年までに制作されたと見るのが順当なところです。


                                                                     Img_4060


      千光寺土蔵の妻側の2階窓に両開きの黒漆喰土扉が付いています。



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      両面とも「松と鷹」を描いた源造の鏝絵があります。


      この土扉の鷹や唐破風の龍は源造が得意とした高肉彫りで造られていて、みごとな出来栄えです。


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      蔵の戸前正面は鏝絵を保護するため格子が設けられていますが、格子の間から十分拝観できる形になっています。



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      両脇の腰壁に黒漆喰で縁取りした壁面いっぱいに、様々な姿の9羽の丹頂鶴が等身大のサイズで描かれています。


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      丹頂鶴はその美しさから古来から親しまれて来ました。

      丹頂の丹は赤いことを意味し、頭頂に露出した皮膚が赤いことからこの名が付けられました。



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      しなやかな肢体の丹頂鶴が、カップルで、あるいは子連れの家族の姿で描かれています。


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      源造は、どこでこのような姿かたちを見せてくれる鶴をスケッチしたのでしょうか。


      丹頂鶴は北海道にしか生息していませんし、鶴が富山県に飛来していたとも思えません。



                                 Img_4079

       

      出入り口土扉に、恵比寿と大黒天が愛される穏やかな表情で描かれています。



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      下部分は、 波間に遊ぶ亀が描かれています。


       

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      鉢巻や隅柱、妻窓などに手が掛かる黒漆喰で仕上げています。


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      黒漆喰で仕上げることにより蔵に重厚感も増しますが、源造は黒漆喰にして鏝絵の色彩がより鮮明に浮かび上がらせることを考えたのではないかと思うのです。



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      源造は口数の少ない寡黙な人だったといいますが、住み込んでいる弟子たちと一緒に食事を摂るときはやさしく声を掛け、家族同様に面倒を見たといいます。


      しかし、仕事の上では厳しく教えられたことができない時は、棒で頭を叩かれることもあったといいます。


           

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      源造は仕事の最中、脳溢血で突然倒れ昏睡状態に陥り半日後に息を引き取ったといいます。


      鏝一本で生きた65年の生涯でした。遺した仕事で現存が確認されているものが120点余り、今回の旅ではその一部しか見ることはできませんでした。


      改めて現造が遺した足跡を訪ね歩こうと思います。



      2015.01.08 Thursday

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