2015.01.08 Thursday

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    2014.12.15 Monday

    鏝絵細工を探す旅 〜 箱根のクラッシックホテルに飾られていた巨大鏝絵(神奈川県箱根町)

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      明治11(1878)年に創業を開始した箱根・宮ノ下のクラッシックホテルの富士屋ホテルを訪れたのは、11月の中旬でした。

      古い歴史を誇るホテルだけに随所に見所があります。 
       
       

                Dsc_0051                           (巨大な鏝絵やレリーフが飾られている花御殿)


      富士屋ホテルの花御殿に巨大な鏝絵があります。

      作品の横に「羽衣  昭和10年 小倉右一郎作」と書かれた銘板があります。

      小倉右一郎(1881−1962年)といえば、明治、大正、昭和の時代に活躍した彫刻家です。


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      小倉はブロンズ像を得意としながら木彫、石彫も手掛け、仏像、肖像、動物、裸婦像など幅広い作域を持っていました。

      ですから鏝絵を手掛けたとしても不思議はないかと思います。

      銘板の中に次のような解説が記されています。

      「羽衣は日本民衆の間に伝えられた口承文学の一つで、また謡曲『羽衣』としても語られている。この伝承を元に洋式なものを導して天女に翼をつけた三人のエンジェルを配し、また彼方にはにほんと富士屋ホテルのシンボルである富士をのぞかせて独特の『羽衣』を構成している」


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      この解説文は小倉の門人である松田喜三郎が書いています。

      もう一つ、6頭の駿馬が描かれているこれも巨大な鏝絵です。天翔る駿馬の姿が描かれていて、馬毛の色もそれぞれ違います。


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      周りにいろいろなものが置かれていて銘板が見えません。ですから作品名が分かりませんし、作者名も分かりません。デッサンのタッチからすると小倉の作品かと類推できるのですが…。

      小倉右一郎といえば、花御殿の地下に「天の岩戸」という昭和10(1935)年に制作したレリーフです。

      作品内容について、やはり解説書きがあります。

      「日本神話の一場面、高天原での素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱行にたまりかねて天照大神が岩屋戸に隠れたとき、天細女命(あめのうすめのみこと)の乱舞を中心に、神々が奏した雅楽を怪しみ、天照大神が岩屋戸から少しのぞいた所を手力雄神(たぢからおのかみ)が岩戸を開ける瞬間のレリーフです」


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      戦後の日本に白井義男に続いてボクシング界に希望の星として現れ、「拳聖」と呼ばれたボクサー・ピストン堀口をモデルにしたといわれ、迫力のある力強さで表現されています。


                       
      2014.12.14 Sunday

      鏝絵細工を探す旅 〜 現代人気作家の鏝絵が飾られている世尊院の奥庭(長野県長野市)

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        長野市・善光寺の門前に土産物店、仏壇屋、そば処、漬物屋など多くの仲見世が、終日賑わいを見せています。

        賑わう街路から1歩奥に入ると、全国通々裏々から善光寺に参った善男善女をもてなしてき宿坊が閑静な佇まいを見せています。


        Img_5503   (鳥獣戯画は平安時代末期から鎌倉時代初期に描かれた絵巻物で、 甲・乙・丙・丁の全4巻とその断簡からなります。どのような目的で描かれたのかなど分からない点もあるのですが、こんなに動物が描かれた絵巻物は他にありません)


        宿坊が軒を並べる中に世尊院があります。善光寺大勧進に属する天台宗衆徒20院の一つで、本尊の釈迦涅槃像が安置されていて釈迦堂とも呼ばれています。

        釈迦の入滅の姿を著している涅槃像は鎌倉末期の作と推定される銅製で、等身大の166cmあるといいます。



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        その世尊院の奥庭に白漆喰の「波うさぎ」と「鳥獣戯画」の鏝絵があります。

        大分県大分市で鏝絵師として制作活動をしている仁五(ジンゴ=本名・後藤五郎、1948年〜)の作です。


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        世尊院住職夫人の清水育子さんが、数年前に小布施町で開催された仁五作品展を見て仁五フアンとなり購入し展示しているものです。


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        左官職人・仁五は20年間修業を積み、「その後10年かけて現在の漆喰アートを確立した」とWeb上で語っています。

        漆喰アートとは「仁五が独自の感性と技法を用い、日本古来から伝わる『鏝絵』を超越、立体的レリーフを実現したアーティスティックな漆喰彫刻」を指すのだそうです。


        Img_5526           (世尊院の本堂に『牛に引かれて善光寺参りの諺を描いた絵馬が飾られています)



        「日本の伝統技巧である鏝絵を極めると同時に、よりリアルな表現を追及し今までに無い全く新しい独自の鏝絵の技巧を完成させました」(原文のまま)とも言っています。

        「独自の鏝絵の技巧」というのは、世尊院の作品を見て分かるように、着色をせず漆喰本来の白に光と陰影のみで表現することを指しているようです。


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        清水さんは「仁五さんは、現代鏝絵師として心の造形を目指している方。最初に見た瞬間から、うちのお寺に来るべくして出合ったような運命を感じた」と語っています。


                            

        2014.12.13 Saturday

        鏝絵細工を探す旅 〜 防火建築として建てられた蔵造りの商家に遺るランプ掛けの天井飾り(富山県高岡市)

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          富山県高岡市のレンガ造防火壁がある商家の土蔵造りについて紹介しましたが、この土蔵の軒に鏝絵があります。

          明治33(1900)年の大火の後に防火建築物として建てられた土蔵造りの家並は、山町筋と呼ばれる600mほど続く旧北陸道沿いにあります。


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          その山町筋の代表的な商家で、江戸末期から明治にかけて北前船の廻船業で財を築いた菅野家住宅があります。

          主屋は明治33(1900)年の大火直後に再建されました。土蔵も同時期の建設と推定されます。当時10万円という大金を投じて建てられたといいます。 



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          主屋は土蔵造り2階建て、2階窓に観音開きの土扉を備え黒漆喰で外観を仕上げています。全体に重厚な趣があります。

          太い出桁(だしげた)で軒を支え、鋳物製の支柱に装飾が施されています。正面庇の天井部にランプ掛けがあり、外壁を黒漆喰で仕上げた左官職人が天井飾りに紋様を施しています。

          漆喰細工があるのは山町筋にある土蔵造りの町家では菅野家だけですが、
          黒漆喰仕上げの職人が遺した仕事を見るのも楽しいのではないでしょうか。


          2014.12.12 Friday

          鏝絵細工を探す旅 〜 もう一つ長坂にあった三井さんの鷹の図(長野県北杜市)

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            山梨県下の取材を終えて長坂ICから長野道に入ろうと向かっていました。

            入り口近くまで来たところになまこ壁の土蔵が見えました。視線の先は当然、鏝絵や飾り瓦がないかチェックしていました。



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            蔵窓の上にありました。


            五町田の信号をターンして車を駐車場へ入れ、カメラバッグを担いで現地へ。予期せぬところで偶然出合えるのは、“得した”気持ちになります。



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            そして、「ああ、ここにも」と思わず声を上げていました。あの三井貴男さんの手によるものです。


            かつて北杜市津金地域へ三井さんが遺した鏝絵を見て回りました。



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            三井さんはいろいろな事象を取り上げ鏝絵にしていますが、なかでも鷲を数多く題材にしました。

            大きく羽を広げ、鋭い眼、嘴、爪など鷲の特徴を描き込み、背景に岩礁や松の老木などを配置します。そして、紺碧の色を使い荒れた空を表します。

            鷲を描くと第一人者ではないかと思っています。




            2014.12.11 Thursday

            鏝絵細工を探す旅 〜 震災復興で蘇った横浜開港記念館の中心飾り(神奈川県横浜市) 

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              横浜市は開港50周年を記念して、市民からの寄付を募り公会堂の建設に取りかかり大正6(1917)年に開港記念横浜会館(現在は横浜市開港記念会館と改称)として竣工します。


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              その6年後の同12(1923)年、横浜は関東大震災で激甚な被害を被ります。多くの建物が倒壊し、その後に発生した火災で焼失してしまいます。

              レンガ造の開港記念横浜会館は構造上、鉄材を入れて地震に備えていたことから、時計塔、レンガ壁体などの主要な構造は残ります。



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              昭和2(1927)年に震災復旧工事が始まり、創建時と同じ設計スタッフが当たって構造補強をし当初の形に復元にこぎつけました。


              この時、強い火と煤煙で煤けた天井も貼り替えられ、左官職人が漆喰で中心飾りを造り直しました。



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              当時の左官職人が高い技術を持って震災復興にあたった仕事の跡が、今も見て取れます。


              2014.12.10 Wednesday

              鏝絵細工を探す旅 〜 職人とボランティアがみごとに復元した旧小笠原邸 漆喰細工

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                今年8月、「ステンドグラスを見に行く」で東京・河田町にある旧小笠原長幹邸を取り上げました。

                この建物は昭和2(1927)年に伯爵邸として建てられたのですが、戦後
                まもなくGHQ
                (連合国軍最高司令官総司令部)に接収され解除された後、都に所有が移ったものの一時は荒廃してしまいます。


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                後年、民間の手を借りて修復することになり修復ボランティアたちが、この歴史的な建築物を遺そうと様々な仕事に取り組み、建造当時の姿に復元されました。

                その復元された旧小笠原邸内に左官職人がモルタルで、漆喰を材料に腕を振るった細工が随所に見ることができます。


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                正面玄関の上部にブドウ棚をモチーフにしたキャノピー(外庇)があり、その下のコンクリート壁面に描かれた紋様があります。


                やはりブドウをアレンジメントしたデザインです。



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                大きなシャンデリアを吊るした中心飾りは華やかさはありませんが、豪華なシャンデリアを引き立たすには十分なデザインです。

                 

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                客間の壁に埋め込まれた装飾用の付け柱の柱頭に果物が盛られています。


                天井が高く照明の関係もあって確認することができなかったのですが、均一な仕上がり具合から見ると、石膏彫刻のようです。



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                付け柱のある同じ客間の出入り口の上に花と果物のアレンジメントが施されています。



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                これも高い位置にあるのですが、こちらは漆喰を使っているようです。


                和の左官職人とは別に石膏技術を習得した技術者が同じ部屋の装飾を分業で施工することもあったといいます。



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                小笠原伯爵邸のもっともシンボリックな半円形喫煙室の外壁面に施されたスパニッシュ様式の装飾タイルを使った壁画は、なかなか見応えがあります。

                色とりどれの素焼きタイルを使って中央に太陽が輝き、ブドウと蔓、鳥やトンボなどの生き物や花々が散りばめられ、「生命の賛歌」をモチーフに制作しています。


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                小森 忍(1889−1962年)が制作した1,600パーツの装飾タイルはほとんどが剥がれ落ちていたのを、修復ボランティアが当時の色タイルを1枚1枚確認しながら忠実に復元したといいます。



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                小森のタイル装飾は江の島にある岩本楼でも見ましたが、国内ではなかなか目にすることのできないスパニッシュ様式のタイル装飾を旧小笠原邸で見ることが出来ます。

                小森 忍は優れた釉薬研究でも業績を残した人として知られます。



                2014.12.09 Tuesday

                鏝絵細工を探す旅 〜 老舗温泉旅館で見たさりげない中心飾りの漆喰細工(神奈川県箱根町) 

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                  今年も旅の途中で目にした鬼師の遺した飾り瓦、鏝絵師が作った漆喰細工やステンドグラスなどの幾つかをアトランダムに載せます。ご覧ください。


                       ………   ………    ………   ………   ………    ……… ………   ………    ……… ………   ………    ……  


                  箱根塔之沢の温泉旅館「環翠楼(かんすいろう)」は、375年の歴史を持つ老舗中の老舗旅館です。


                  明治17(1884)年に建てられたものの、大正8(1919)年に全館を銘木を用いて建て直します。


                  しかし、4年後の大正12(1923)年に発生した関東大震災の大きな揺れで半壊、その後1年有余の歳月を費やして新たに建て直したものが現在の木造4階建ての建物になります。



                                                    Dsc_0213                                                                                                                                                                                               
                  11月中旬に紅葉狩りを兼ねて、ここのステンドグラスを見るため訪れ投宿しました。(ステンドグラスについては後日掲載します)


                  館内は客室、大広間などをはじめあちらこちらが銘木が使用されていて目を奪います。さながら「銘木博物館」とでもいえそうなこだわりようです。



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                  杉、桜、桐などをふんだんに使用した大広間は、天井の造りも格天井になっていて、ニ重折上げの珍しさ、美しさを見ることができます。照明具もクラシカルです。


                  江戸時代には大名、旗本あるいは豪商たちで賑わい、明治に入って大官、政客、文人らが来泊し、こうした贅を尽くした環翠楼のおもてなしを堪能したことでしょう。


                  環翠楼には多くの著名人が来遊しているのですが、大震災時に宿帳などの記録類や少なからぬ書画・骨董類が失われています。




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                  それでも館内に遺されている美術品の数々に「お宝鑑定団」もびっくりするほどだと言います。


                  大襖絵などに名画や名書の数々が遺っていて、惜しげなく飾られています。



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                  こちらは女流の浮世絵師・小琴秀方が描いた六曲の美人画屏風で、香り立つ女性の風俗を抑えた色調の中に表現しています。



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                  いたるところ見所があり、ゆっくり時間をかけてみても見飽きないものがあります。


                  大浴場の天井部を見上げると、さりげなく実にみごとな漆喰細工が飾られています。



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                  中心飾りも洋風の意匠を模っているのですが、違和感はありません。


                  この他にも環翠楼には大正から昭和期のガラス、タイルなどの施工品や調度類など郷愁を誘うレトロなものを楽しむことができます。



                  2014.11.16 Sunday

                  鏝絵細工を探す旅 〜 猿田彦社に奉納された繊細緻密な中国版武者絵(群馬県渋川市)

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                    群馬県渋川市石原の25号線沿いに猿田彦神社の参道入口があります。


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                    境内は右手に神楽殿があり、正面に鳥居と妻入りの拝殿が建立されています。


                    特筆すべきは本殿で、正方形の社殿の白壁に精緻な漆喰細工があることです。



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                    前回書いた富岡市の成田山不動堂では、いたずらによる損壊も目立って来ていることから保存、防備の必要性を訴えましたが、こちらの鏝絵はしっかりとした防御のネットが施されています。


                    ただここまでされると本来の漆喰細工の細かい部分が見えません。



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                    鏝絵は白壁三面に施され、いずれも上部に鯉が泳ぎ下半部に甲冑を身に着けた武士が馬に乗り、相方の兵たちを威嚇しているように見えます。

                    衣装などからして古代中国が舞台のようです。



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                    御祭神は猿田彦大神で、かつては養蚕の神様を祀った社として知られましたが、由緒の案内はなく、創建時期や沿革は不明です。


                    ですから、この鏝絵の製作年代も分からないのですが、古いものであることは間違いありません。



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                    以前、同じ群馬県内で高崎市諏訪社の「竹林の七賢人」の鏝絵を載せたことがあります。


                    繊細緻密な制作技術からすれば、これに劣らぬ腕をもった鏝絵師が描いています。



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                    地元では「お庚申さま」と呼ばれているように、かつてはこの社は北毛地区の庚申講の一大拠点だったといいます。


                    庚申講(庚申待ち)の夜は、夜通し眠らないで天帝や猿田彦、青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習がありました。



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                    それは人間の体内に三尸(さんし)の虫がいて、干支(えと)の庚申(かのえさる)の夜に人間が眠っている隙に体から抜け出して、天帝にその人間の悪事を報告しに行きその結果、天帝の怒りをかって人は早死すると信じられていたことから、それを避けるために寝ないで語り明かしたのです。



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                    天帝の怒りから守ってくれるのが仏教では青面金剛(しょうめんこんごう)、神道では猿田彦大神とされています。



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                    記紀によると、猿田彦大神は天孫降臨に際し、天の八街(あめのやちまた)に待っていて天照大神(あまてらすおおみかみ)の命を受けて瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が豊葦原の国を治めるよう申しつけられた際に道案内役を務めた神様です。



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                    背は高く鼻も高く、眼は八咫鏡(やたのかがみ)のように照り輝いていたといわれます。

                    後に天鈿女命(あめのうずめのみこと)と結婚し伊勢の国の五十鈴川の上流の地で農耕生活に入り、日本の国を豊かにしたといわれ、これらのことから交通安全や農耕の神として祀られています。


                    猿田彦大神については、伊豆の長八が東京・品川の寄木神社に奉納した漆喰細工があり、以前これについて紹介しました。こちらも併せてご覧ください



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                    庚申塔の建立が広く行われるようになるのは、江戸時代初期の寛永期以降といわれます。


                    初めの頃は青面金剛や三猿像のほか、阿弥陀、地蔵など主尊が定まっていなかったようですが、 徐々に青面金剛像が主尊となります。



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                    江戸中期から後期にかけて「庚申塔」あるいは「庚申」と文字のみ彫るようになっています。



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                    明治になって政府は庚申信仰を迷信として街道筋に置かれたものの撤去を進めました。


                    さらに戦後の高度成長期に物資輸送の便のため道路の拡幅工事により庚申塔の多くが撤去や移転されることになります。



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                    地方の道を歩くと、今でも道路脇に庚申塔を見ることができます。


                    もともと交通量の少ない場所に置かれていたため開発による破壊から免れたものといえます。



                    2014.11.15 Saturday

                    鏝絵細工を探す旅 〜 極彩色の後を遺す不動堂の二十四孝(群馬県富岡市)

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                      官営模範工場として開業し、日本の製糸業の発展に大きな影響を及ぼした群馬県富岡市の富岡製糸場は世界遺産、次いで国宝として登録され、連日の賑わいを見せています。

                      その喧騒をよそに
                      製糸場からそう遠くない同市富岡に成田山不動堂があり、お参りに訪れる人も稀なようで終日静かに佇んでいます。


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                      説明書きによると、この不動堂は古くから同地に居住していた多治見福寿坊という修験者の内仏堂だったということです。



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                      福寿坊第23代の多治見賢友が不動尊を勧請し、享保元(1716)年に創建したのが始まりといわれています。


                      その後、明治元(1868)年の神仏分離令とそれにもとづく廃仏運動のなかで、多治見福寿坊が同5年に廃坊となります。



                      Dsc_0029


                      しかし、同17(1884)年になって信仰心の篤い信徒たちが成田山新勝寺で不動尊を再開眼奉安します。


                      この結果、成田山分霊所として公称することを許されたといわれるお堂です。



                               Dsc_0033


                      堂の外観は二重に尖塔形の屋根で覆い、堂全体を保護しているようです。


                      デザインがかなり斬新で違和感がないわけではありませんが、取りあえず風雨などによる経年損壊から当座免れるのならば是と考えた方が良いのかもしれません。



                      Dsc_0007


                      この不動堂の内外壁にたくさんの極彩色の漆喰細工が施されていて、実に見応えがあります。


                      長い歳月を経て来て、色褪せなどが見られるものの“いい味”を出しています。


                      Dsc_0008       


                      正面の拝殿に龍、鶴に乗った仙人、松を背景にした(じょう)と姥(うば)が目に飛び込んできます。


                      鶴に乗っているのは王子喬という仙人で、周の霊王(?〜紀元前545)の太子といわれ笙を吹くのが巧みで、 まるで鳳凰が鳴くかのような音をたてたと伝わります。



                      Dsc_0009           


                      鶴に乗る姿は王子喬が嵩高山に登ってそのまま消息が分からなくなってから30年後に現われた姿で、この後また飛び去り人々は祠を建てて祀ったといいます。



                      Dsc_0054


                      尉、姥は謡曲「高砂」に出てくるの老夫婦で、夫婦繁栄、長寿の象徴とされてきた姿を表しています。



                      Dsc_0055


                      尉、姥は必ずセットで、尉は熊手を持ち姥は箒を持つ姿で描かれるのが多く、松も組み合わせとして描かれます。



                      Dsc_0011


                      これらの下に巨大な龍が梁に巻き付くような形で細工されています。


                      Dsc_0017


                      そして、左右の横壁に故事来歴や二十四孝(にじゅうしこう)に因んだ話をテーマにして制作しています。



                      Dsc_0026


                      二十四孝とは、かつて中国では儒教の教えを重んじ、歴代の中国王朝は孝行を特に重要な徳目として後世の模範になるよう孝行に優れた人物24人を取り上げて書物に著し、孝として教育しました。



                      Dsc_0027


                      その後、これが日本にも伝来し四字熟語になって教育材料として使用されたり、仏閣の建築物や祭礼の時の山車装飾などに描かれるようになります。



                      Dsc_0012  


                      例えばこれは、二十四孝の楊香(ようこう)の話を描いているようです。


                      楊香は父と山に入った時に虎と遭遇します。父の命を守るために追い払おうとして立ち向かいます。


                      しかし、敵わなかったので天に自らを犠牲にし、父を守りたまえと祈ると虎が退散し無事に父子で家に帰ることができたというストーリーです。



                      Dsc_0021 


                      こちらは二十四孝の剡子(ぜんし)について描いています。


                      剡子の父母は眼を患ってしまいます。剡子は眼には鹿の乳が良いということを知り、鹿の群れの中に 紛れ込もうとして鹿の革を着て山に入ります。


                      そこを狩人に本物の鹿と勘違いされ、撃たれようとします。


                      剡子は狩人になぜこんなことをしているのかを必死に語ります。それを聞いた狩人は 剡子の親孝行に心打たれます。



                      Dsc_0016               

                      これは郭巨(かっきょ)を描いた漆喰の鏝絵ですし…


                         

                      Dsc_0037


                      これは象が出てきますので、舜王を描いています。


                      舜は家族から酷い仕打ちを受けていたにもかかわらず孝行を尽くします。


                      それを尭が聞きつけ、摂政とさせ最後には王位を禅譲し舜は王となります。


                      舜を描く時、その挿話から象が田を耕し、 鳥が田の草をついばみ、舜が童形の姿でいることが定型になっています。



                      Dsc_0022


                      このようにして鏝を振るって壁に細工を施した鏝絵師が何を描こうとしていたのか、思いめぐらしながら見るのも楽しいものです。


                      Dsc_0019


                      これは何を描いているのでしょうか?



                      Dsc_0025


                      ただ残念なのは、堂に向かって右側の横壁に塗られている作品の損傷が激しいことです。



                      Dsc_0039       

                      こちらは、二十四孝の王祥の孝行譚を描いたと思われる作品ですが、頭部が失われています。


                      象とともに描かれていた舜王も肝心の顔の部分がありませんでした。



                      Dsc_0041


                      こちらも無くなっていますし…



                                                        Dsc_0036


                      これにもありません。


                      それも各作品中の人物の顔部分が失われているという特異な共通点です。



                      Dsc_0041


                      鏝絵に立体感を付けるため、鏝絵師は芯になる部分に様々な骨材を使用し、その上に漆喰を塗り込めて作品を仕上げて行きます。

                      しかし、顔の部分だけが経年劣化によって剥離、剥脱するということは、およそ考えられません。

                      人為的に手が加えられたことにほぼ間違いありません。

                      早く有効な保護策を講じないと損壊が進みかねません。


                                                  Dsc_0028                                      

                      不動堂ですから、奉祀するご本尊は不動明王です。


                      成田山新勝寺のご本尊は、 嵯峨天皇の勅願により弘法大師が一刀三礼敬刻開眼した不動明王の霊像です。


                      堂内には鍵が掛かっていて入れませんし、暗くて中の様子が分かりません。



                                                  Dsc_0031


                      格子戸にレンズを押し当てストロボを焚いて見ると、本堂に祀られている不動明王の姿が見えてきました。 

                                               

                                                    

                      Dsc_0030


                      不動明王の周辺にも漆喰細工が施されているようです。


                      説明板に「内部には天井いっぱいに龍が駆けめぐり(損壊激しく保存撤去)」と記されています。


                      保存撤去は保存のために天井から取り外し別の場所に保存してある、という意味でしょうか。



                      Dsc_0048


                      また、戸前の土扉が傷んで扉は床板の上にあり、壁に立てかけるようにしてあります。



                      Dsc_0049


                      富岡製糸工場は世界遺産、国宝となり手厚い保護策が採られるようになりましたが、不動堂にはこれといった保存策がなされているようには見えません。

                      先人たちからの名もない遺産かもしれませんが、
                      同じ市内にあってこれ以上の破損が起こらないような策を講じてもらえないものでしょうか。


                      2014.11.13 Thursday

                      鏝絵細工を探す旅 〜 観音堂の大棟にある馬を描いた漆喰細工(千葉県野田市)

                      0

                        野田市上花輪に江戸時代、当時の上花輪村の名主で醤油醸造を家業としていた高梨兵左衛門の屋敷と庭園を改修して醤油造りや当時の生活文化に関する資料を展示している上花輪歴史
                        という博物館があります。

                        その隣地に観音堂があります。


                        Dsc_0661


                        これまで「勘地入用覚帳」の記録から宝暦4(1754)年に建立されたものとされてきました。


                        しかし、平成5(1993)年に堂の屋根改修を行った時に棟札が見つかり、それに宝暦3年建立と書かれていました。このことから、建立されたのは記録として1年早まることになりました。

                        また、観音堂前の路上は上花輪村の高札場があったことが分かっています。


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                        観音堂の大棟下に、馬を描いた漆喰細工を見ることができます。左右の端に雲を、中央に寺紋を配し、その間に馬を描いています。


                        馬は2頭描かれ、うち一頭は走り、もう一頭は走って来る馬を振り返るような仕草をしています。


                        ここの観音堂にどうして馬の鏝絵があるのか、由来などは分かりません。そもそも馬の鏝絵があることすら知られていないようです。



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                        千葉市稲毛区長沼町に元観音堂という社があり、馬頭観音を祀り大小さまざまな石絵馬が奉納されています。


                         

                        Dsc_0665


                        3代将軍家光が元服して間もなくの元和6(1620)年、東金(とうがね)へ鷹狩に行く途中で愛馬が傷ついて死んでしまいます。家光はこれを悲しみ元観音堂に屍を手あつく葬ったといいます。

                        その後、これを聞いた近郷の人々から境内にたくさんの石絵馬が奉納されるようになったといいます。現在でも百数十枚が残っています。


                                Dsc_0673


                        下総地方、観音堂、馬といえば、こうした話が連想されますが、野田・上花輪の観音堂と元観音堂の関連も分かりません。


                        観音堂の先に片側だけですがケヤキ並木が続き、ホッとさせてくれます。ケヤキ並木はそれぞれの季節に美しい姿を見せ、和ませてくれます。



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