2015.01.08 Thursday

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    2014.12.19 Friday

    鬼師が遺した飾り瓦   飾り瓦を屋根に乗せる風習がない地方で見た大黒、恵比寿の装飾瓦(富山県朝日町)

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      富山県朝日町を訪れた時に見た山深い地の民家の屋根に載っていた恵比寿と大黒の飾り瓦です。

      富山県内を走っても飾り瓦がある風景はほとんど目にすることはできませんでした。


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      鋳抜き成形の飾り瓦ですが、飾り瓦を屋根に上げる生活風習のないところでこちらのようにどういう経緯で飾るようになったのかも興味のあるところです。



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      この日は留守のようで、その辺りの話を聞くことはできませんでした。


      2014.12.18 Thursday

      鬼師が遺した飾り瓦   七味唐辛子の老舗・八幡屋礒五郎にあった鍾馗(長野県長野市)

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        「八幡屋礒五郎」といえば、長野市の善光寺門前で七味唐辛子を販売する江戸時代から280年余り続く老舗ですが、今春、善光寺に行った際立ち寄ったところ、入り口の庇に当たる上に、鍾馗の飾り瓦があるのを発見しました。

        これまでも何度か入店しているのですが、全く気が付きませんでした。

        見た通り、型から抜いて焼成したもので手びねりの古いものではありませんが、善光寺周辺は瓦葺き屋根が多いもののこうした飾り瓦を見ることはありませんので、ある意味新鮮さを感じてしまいました。



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        七味唐辛子ですが、唐辛子をベースに七つの素材=七味がブレンドされた調味料であれば七味唐辛子と呼べます。


        七味唐辛子の三大老舗といわれる東京・浅草のやげん堀・中島商店、京都・清水の七味家本舗にしてもそれぞれの調合に工夫があり、それが味や香り、色などその店の七味の特徴になっています。


        八幡屋礒五郎の七味は、辛味を出すための唐辛子、辛味と香り両方を併せ持つ山椒・生姜、風味と香りの良い麻種・胡麻・陳皮・紫蘇の七つ。辛味と香りの調和のとれた独特の味わいが特徴です。



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        八幡屋礒五郎の七味唐からしの原料は、これまで県外産や輸入に頼っていましたが、創業時の原点に戻り唐辛子をはじめ配合する他の原材料も長野県産の委託生産に変え、名実ともに「信州の七味唐からし」としての魅力を高めることにしたといいます。



        2014.12.17 Wednesday

        鬼師が遺した飾り瓦   狐ではなく大黒と恵比寿が飾られていた稲荷社の屋根(神奈川県横須賀市)

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          今年の3月、この地域に遺る鏝絵を見るために横須賀市浦賀の各地を巡りました。


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          その際、東浦賀の東耀(とうよう)稲荷社のそう大きくはない本殿の屋根に大黒天と恵比寿の飾り瓦がありました。


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          稲荷社に祭神の狐ではなく、大黒と恵比寿というのも面白い組み合わせです。それにしても実に溢れんばかりの笑顔で、見ている側の顔もほころんで来ます。


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          神社前に、東耀稲荷、須賀神社と書かれた道標があり、鳥居に東耀稲荷大明神の扁額が、狭い参詣路の階段を上った本殿に須賀神社の扁額が掛かっています。

          これは天明2(1782)年に創建された須賀神社の地に、隣の東耀山顕正寺内にあった稲荷社が合祀されるようになったことに由来すると言います。


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          東耀稲荷社の正面の大棟に、かつて鳳凰を描いた鏝絵があったそうですが傷みを修復できる職人がいなかったため、白漆喰が上塗りされて見ることができなくなっています。


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          しかし、格(ごう)天井や欄間などに見事な彫刻があり楽しませてくれます。


          江戸時代、近海で水揚げした鰯を肥料用の干鰯に加工し、関西方面に送り出す干鰯問屋が隆盛し幕府の公認を得るまでになり、全国の干鰯商いを独占するほどになります。


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          浦賀は干鰯問屋や廻船問屋が軒を連ねる港町として栄えます。

          格天井や欄間の豪華な木彫はその栄華を偲ばせる名残りといえるかもしれません。



          2014.12.16 Tuesday

          鬼師が遺した飾り瓦   時代とともに柔和な顔立ちになって来た狛犬(神奈川県横須賀市)

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            横須賀市にある海上自衛隊田戸台分庁舎へ向かうには、地元の人たちが「長官坂」と呼んでいる坂道を上って行きます。


            その坂道の上り口に浄土宗の聖寺という寺院があります。その本堂の屋根に対になった狛犬の飾り瓦が載っています。



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            かなり現代風にアレンジデザインされていて、表情もそう険しくはなく可愛らしささえ漂ってくる雰囲気です。


            量産されている狛犬ですが、時代の流れとともに表情にも昨今は親しみやすさを意識してデザインされてきているのでしょうか。



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            以前、長野県安曇野市の狛犬の装飾瓦を特集しましたが、それらと見比べても現代感覚が感じられる造形になっています。


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            また、同じ屋根に鬼瓦もありますがこれも現代の鬼面になっています。



            2014.10.01 Wednesday

            「良い知恵があれば…」、kiteさんも呼びかけ

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              先日、「保存できないか、伊賀街道旧平松宿の七福神瓦」の記事を掲載しました。

              これを目にされたkiteさんこと小沢正樹さんから、さっそくご連絡をいただきました。

              と同時にブログ「鍾馗を尋ねて三千里」で

                なんとかできないものか、待ったなしの状況であせります。
                良い知恵のある方、お知らせを!


              と緊急の呼びかけをしていただきました。

              また
              kiteさんは、人を介して旧旅籠「いたや」の所有者とも話し合うよう動きだされています。

              皆さん、保存のための何か良い方法はありませんでしょうか。知恵をお貸しください。


              * kiteさんはブログ・タイトルが物語るように瓦鍾馗を探して全国を歩き、記録整理している方です。入門書『鍾馗さんを探せ!!』(淡交社刊、税込み価格1,470円)の著作もあります。


              2014.09.25 Thursday

              鬼師が遺した飾り瓦   保存できないか、伊賀街道旧平松宿の七福神瓦(三重県伊賀市)

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              いつかは見てみたいと思っていた一つに、三重県伊賀市の旧伊賀街道平松宿のいたや旅館の飾り瓦があります。

              9月に入って、この建物の所有者が老朽化が進んだことから10月中にも取り壊しを予定しているようだという情報が届きました。


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              時間に余裕がありません。「これは大変」とばかりに予定をやりくりして出かけることにしました。


              高速道を乗り継いで片道約315kmの行程です。



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              東名阪道を降りて伊賀市の山道を走って平松宿に向かうのですが、対向車もありません。山深い道ですので、もちろん人影も、人家もありません。



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              本能寺の変によって危機に晒された徳川家康が、僅かな供廻りと命からがら伊賀越えしたのはこんな寂しい峠道だったかと思いを馳せながらしばらく走っていると、ようやく人家が見え始めました。


              人里ののどかな田園風景を横目に見ながら、ほどなくして平松宿に着きました。



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              近くを走るバイパス化された国道が、この宿場の東側を通り逸れたため当時の町並がそのまま残ったのです。


              旧宿場の面影を残すそう広くはない道の両側に、木造の家屋が軒を並べています。昼下がりなのですが、人影が見当たりません。



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              かつて伊勢国と伊賀国を結ぶ伊賀街道は、津から橡ノ木峠(長野峠)を越えて上野までの約50km(12里)の街道で、京、大和、山城方面と伊勢神宮を結ぶ参宮の道でした。


              伊勢側では「伊賀越え奈良道」と呼んでいたそうです。



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              慶長13(1608)年に藤堂高虎が伊勢・伊賀二国の大名として移封され、津を本城に、伊賀上野を支城にして上野は城代家老が治めます。


              二つの城下を往来するため藩内の官道として整備して、今の伊賀街道ができたといいます。



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              街道が整備されてから、津側から水産物や塩が、伊賀方面から種油や綿などが相互に運ばれ、藩内交易が盛んとなりました。



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              かつて伊賀街道の最も大きな宿場が上阿波宿でした。津藩主の伊賀巡見のための休憩所も設けられていました。


              しかし、上阿波の宿は元禄7(1694)年から同9年の僅か3年の間に3度の大火を引き起こします。


              このため津藩は、宿場を上阿波から1.3km西の平松に移します。本陣や問屋も移します。



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              元禄9(1696)年からわずか半年余りで、平松宿の町普請が完了します。


              それ以降、平松宿は伊賀八宿中、最大の宿場町として栄えたといいます。


              藩主が伊賀上野城に向う時には長野峠越えの道を通ることが多く、平松宿で休憩をとったといいます。



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              平松宿は上阿波の経験から火除けの土手を築きましたが、延享元(1744)年に出火し宿場を全焼します。


              さらに明治23(1890)年に関西鉄道が開通して、宿場町は急速に衰退します。



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              平松宿は明治16(1883)年、同23(1890)年とその後も大火が絶えず、現在残っている旧旅籠いたやの建物は大正初期に建て替えたものだといいます。


              その後、何度かの部分的な改修を行っていますが、外観は当時の面影を色濃く残しています。



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              昭和40(1965)年頃まで旅館を営んでいましたが、その後廃業。現在まで空家状態になっていました。


              妻入大屋根、格子造りの庇の上などに、御宿いたや、七福神、松や鯉などを模った飾り瓦が残っています。



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              この飾り瓦は、実にユーモラスで親しみを覚えるものです。


              七福神も漫画的なタッチで制作されていて、鬼板師の遊び心も感じられる傑作です。



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              そして、鬼板師はこの七福神にストーリーを持たせています。


              伊賀街道の山中から流れ下る服部川に架かる大橋を渡って平松宿に入るのですが、そこから物語は始まっています。



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              長寿の亀が川辺で遊び、川で鯉が遊び、波立つ川に架かる石橋の大橋を渡った七福神が今宵の宿をいたやと決め、次々と投宿して来ます。



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              毘沙門天、大黒、恵比寿、布袋、寿老人、福禄寿がいます。迎えるのは宿の女将でしょうか。


              飼い犬も一緒です。



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              にぎやかな七福神御一行様ですが、弁財天の姿が見当たりません。


              ひと足早く投宿し、湯にでも浸かっているのでしょうか。



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              弁財天は歌舞音曲の神ですので、今宵の宴も盛り上がることでしょう。



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              軒の先の軒丸瓦にいたやを表す板の字が並んでいます。


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              目を大棟や小屋根に移すと虎や鶴が載っていますし、どういう訳か、別の福禄寿や布袋がいます。



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              鶴は縁起物で、旅館ですので千客万来を願っての意が込められているのでしょう。


              虎は疫病除けのためよく飾られます。



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              実に親しみのもてる装飾瓦の数々、この宿に泊まった旅人たちの旅愁を和ませたのではないでしょうか。



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              この優れた鬼板師の作品、もう一度連続してご覧ください。



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              しかし、この飾り瓦、宿の解体とともに取り壊されてしまうのでしょうか。



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              鉄路が通り寂れて行った旧宿場の庇の上で、行き交う人々を見守って来た七福神たちの瓦は地域とともに時を刻んで来た文化財なのではないでしょうか。



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              行政サイドは大正期の建物で「古さが足りない」ということで文化財指定の枠外という見解のようですが、本来、文化財というのは生活文化に根ざしたものにこそ価値があるのではないでしょうか。



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              単なる時日を経た“古さ”が文化財指定の基準なのでしょうか。



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              せめて、いたや旅館の装飾瓦の保存に手を差し伸べられないものでしょうか。



              Img_6139                      (小屋根の上に、福禄寿が…)



              Img_6143                    (こちらには大きな腹を出した布袋が…)



              Img_6169                 (見にくいのですが大棟に載っているのは龍でしょうか)



              Img_6170   (隣家の塀の上に2匹の鼠が飾られています。カビで白くなっていて分かりにくいのですが、手前の下側にいるのが分かるでしょうか)




                                      Img_6172                  (いたやのすぐ近くに慶応2=1866年に奉納された常夜燈があります) 



              2013.12.17 Tuesday

              鬼師が遺した飾り瓦  甲冑をまとった3体の鍾馗像(長野県長野市)

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                江戸時代、下氷鉋(しもひがの)の地域は松代藩領でした。明治9(1876)年に中氷鉋村と下氷鉋村が合併し氷鉋村となりますが、その後分立、明治22(1889)年に下氷鉋村と周辺3村が合併し稲里村となります。

                稲里村は昭和30(1955)年に近隣の真島村、青木島村などと合併して更北村となり、さらに同41(1966)年になって更北村は隣接する長野市、篠ノ井市、松代町などと合併し新たに長野市を形成します。

                長野市下氷鉋の広い敷地内に建つN家に、瓦鍾馗の飾り瓦が小屋根の上に上がっていました。

                昔から代々この地で暮らし 、現在の母屋を建ててから100年近くなっているといいます。
                部分的な改築は何度か行っているものの瓦鍾馗は、母屋新築時には挙がっていたことは確かだといいます。


                現当主は「水の神ということで聞いていますよ。新築時に飾ったのか、それ以前にあったものを縁起を担いで新しい家に挙げたのかは分かりません」と語っています。



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                実によくできた装飾瓦で、熟練した腕を持つ鬼師でないとこのように立派な鍾馗は作れません。なんという鬼師が制作したのか、いろいろ考えました。そこで思いついたのが、神谷喜三郎(1849−1922年)です。


                愛知県碧海郡高濱村(現高浜市)出身の三河鬼師の神谷喜三郎は、明治20(1887)年ころに須坂市の瓦屋の森山家に招かれ鬼瓦制作の技術を教えに来ています。


                喜三郎は故郷へ戻らず、明治20年代末期になって真島村(現長野市真島)で所帯を持ち、窯元として瓦店を構えます。出身地の三州から腕のいい鬼師を呼び寄せ住み込ませています。



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                「当時長野市の川南には、まだ鬼瓦を作る者が少なく、必然的に川南の鬼の多くは喜三郎がてがけたと言われ、真島の周辺では今も喜三郎が作ったと言われる役物瓦や鬼瓦が残っています」(『「屋根瓦は変わった」〜信州の瓦屋と三州の渡り職人〜』長野市立博物館編)と記されています。


                この中で、川南とは市内を流れる犀川の南側を指し、瓦鍾馗があった下氷鉋や真島もこの地域になります。真島と下氷鉋の間は4kmほどですから、真島で制作焼成して施主宅までは十分に運べる距離です。


                ですから、この瓦鍾馗を制作したのは喜三郎自身と見るのが妥当なところかもしれません。


                下は下氷鉋から北側へ500mほど離れた旧丹波島宿の東外れに「つるや」の屋号で昔、旅籠を営んでいた宅に上がっている瓦鍾馗です。



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                右手の刀剣の持ち方こそ違いますが、顔髭のはね方、着衣のなびき方と柄、胴の防具、前紐の結び方、両足の位置と踏ん張り方等々、多くの点で一致します。間違いなく同じ鬼師の作と言えます。

                そして、喜三郎作ではないかと強く思うようになったのは、喜三郎が三州から技術指導に招かれて草鞋(わらじ)を脱いだ須坂市の森山家に保存されている一体の鍾馗からです。

                あの彩色が施された跡が見える金属の刀剣を手にした鍾馗像です。喜三郎が長野・真島に居を構える以前の作です。


                この瓦鍾馗は他の鍾馗像に見られない特徴をもった作品ですが、甲冑(胴)をまとっているのも、特徴の一つです。



                      Img_4505                            

                長野県内にこれまで確認できた数多くの瓦鍾馗のなかでも、鎧(よろい)を身に着けているのは、この3点だけです。そして3作品とも神谷喜三郎の足跡と一致するのです。


                傍証といえばその域を出ませんが、鬼師の多くは自ら作った飾り瓦に銘を入れるようなことはほとんどしなかったといいます。


                それは「『自分たちは生活の品を作っているのであり、芸術作品を作っているのではない』また『名前を残したくて作っているのではない』といった意識があったためだと思われます」(前掲書)。


                世評に動ずることなくもくもくと制作に勤しむ鬼師たち、職人の姿が目に浮かんできます。




                2013.12.16 Monday

                鬼師が遺した飾り瓦   伊豆と越後で見た装飾瓦(静岡県松崎町、新潟県長岡市)

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                  今春、長年の願望が叶って鏝絵名人「伊豆の長八」の故郷、静岡県松崎町を訪れました。

                  短い滞在時間の中でも
                  長八作品のすばらしさを満喫できたのですが、装飾瓦で目にすることができたのが下の画像です。


                   

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                  大黒天と恵比寿の飾り瓦です。この二体の飾り瓦の題材は良く見受けられ珍しいものではありません。


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                  以前、松崎町のなまこ壁について触れました。

                  なまこ壁の土蔵と最もよく似合うのは瓦葺き屋根ですが、松崎町で持ち送りやえぶりといったところに飾り瓦がありましたが、棟に上がっている装飾瓦はこれだけでした。


                  下は新潟県長岡市で見た鬼瓦です。

                  この朽ちた土蔵が建っているのは古くから醸造業の盛んだった地域にあることから、それに関連して使用されてきた土蔵かもしれません。かなり傷んでいて、蔵としての役割を終えいずれ解体されるのかもしれません。



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                  鬼瓦の上に突起したものがありますが、これが何であるのか良く分かりません。



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                  鬼瓦は2頭の遊び龍がいて、宝珠を挟み、左右の龍の周りに雲と波を描いています。



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                  一見、鬼瓦は彩色されているように見えます。


                  以前、長野県須坂市で彩色された装飾瓦の鍾馗像を見たことがありますが、これとは少し違うようにも見えます。


                  鬼瓦全体をいくつかのパーツに分け、宝珠や頭部など色を変える部分の粘土に化合物を入れて焼成温度も変えて焼き上げたものと思われます。



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                  反対側の棟にも龍を模った鬼瓦が載っています。こちらも龍の頭部も彩色されたように色が違います。


                  大変手の込んだ制作工程を経ているもので、このような装飾瓦はそう多くはありません。



                  2013.12.15 Sunday

                  鬼師が遺した飾り瓦  東京国立博物館本館を飾る鳳凰の鬼瓦(東京・上野)

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                    今年の旅の途中で目にした鬼師の遺した飾り瓦、鏝絵師が作った鏝絵細工の幾つかをアトランダムに載せます。ご覧ください。

                         ………   ………    ………   ………   ………    ……… ………   ………    ……… ………   ………    ……  


                    上野公園の中には博物館、美術館が多くありますが、明治5(1872)年に開設された日本最古の博物館となる東京国立博物館があります。


                    日本と東洋の美術品、考古遺物などの文化財を展示公開しています。



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                    本館、表慶館、 東洋館、平成館、法隆寺宝物館の5つの展示館と資料館があり、国宝、重要文化財をはじめ約7,500点を展示しているといいます。


                    収蔵品は国宝87件と重要文化財631件を含め11万件以上になるそうです。



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                    年間180万人が来訪すると言われます。本館は正面入場口から入った人工池を越えた突き当たりにあります。


                    本館の設計はコンペによる公募の中から渡辺 仁(わたなべ じん、1887−1973年)の立案が採用されます。宮内省内匠寮が実施設計をして昭和7(1932)年に建設が始まっています。5年後の同12(1937)年に竣工し、翌13年に開館しています。


                    外観の壁面は和風に仕上げ、地上2階、地下2階建て鉄筋コンクリート造の洋式建築です。これに和風の屋根を載せています。屋根と壁面が違和感なく調和しています。



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                    屋根は茶褐色に焼き上げた釉薬桟瓦で葺いていますが、鬼瓦も同じ止上がり色が出るように焼いています。


                    鬼瓦は、大棟、隅棟、降り棟などの棟の端(はな)に取り付ける装飾を目的とした役瓦です。


                    その家の厄除けとして古くから棟に飾られて来ました。



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                    本館の車寄せの上の大棟に載っているのは鳳凰です。鳳凰は平和な治世に姿を見せるという伝説上の霊鳥で、鏝絵やステンドグラスなどにも描かれていますのでこれまでにも取り上げて来ました。


                    しかし、東日本エリアの鬼瓦をいろいろ見て来ましたが、鳳凰が模られた鬼瓦というのは初めて見ました。



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                    大棟の鳳凰を取り囲む形で、鬼瓦が四隅に載っています。上の鬼瓦は同じ車寄せの左手にあるものですが、これは何を意識して制作しているのでしょうか。


                    鬼瓦でよく見られるのは、厄払いのための鬼面が多く登場しますし鬼より強い鍾馗もあったりします。厄病神が我が家に侵入するのを防ぐわけですので、より強面(こわもて)であってよいのですが、上の図柄は何でしょうか。


                    烏天狗でしょうか、鬼をさらにバージョンアップさせた表情でしょうか。



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                    この鬼瓦を制作した鬼師は誰なのか、どこの窯で焼いたものなのか、創立当初からのものなのか、それとも屋根を葺き替えた時に取り付けたものなのか、知りたいことはいろいろとあるのですが、博物館に聞いても今のところ分かりません。



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                    本館の展示室は1・2階に計26室あり、中央の大階段を取り巻いて「ロ」の字状に配置されています。


                    博物館の至宝の収蔵品を屋根の上から守護してもらいたいところです。



                    2013.01.30 Wednesday

                    鬼師が遺した飾り瓦   成敗した小鬼の首を手にした鍾馗(小諸市、佐久市)

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                      小諸市の駅前近くの飲食店が 建ち並ぶ通りに、一軒、住宅兼小さな町工場の跡のような家屋があり、その軒に瓦鍾馗が上がっていました。



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                      この鍾馗さんも瓦鍾馗研究家の小沢正樹さんから位置情報をいただき見てきたものですが、討ち取った厄神の鬼の髪を鷲掴みにして戦勝を誇るかのような顔立ちをしています。



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                      小沢さんの集計分析によると、このようなポーズをとる鍾馗は長野県で多く見られる特徴といいます。他県にないわけではありませんが数は少なく、相対的に長野県下に多く見られるといいます。



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                      上は、松本市四賀で見た刎ねた首を小脇に抱えた鍾馗です。


                      下は、長野市青木島で見たものです。



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                      佐久市の岩村田宿跡の民家にも上がっていました。刀剣は欠損してありませんが、左手には討ち取った鬼の首を手にしています。



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                      こちらは、戦いで疲れたのでしょうか、討ち取った小鬼の首を携えながら腰かけています。



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                      その隣りに鬼首は手にしていませんが、棟の上で厄神の鎮入を許さじと睨みを効かす風貌です。



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                      そのまた隣りの屋根に似た姿の鍾馗があります。作りからすると、同じ鬼師が制作したものと類推できますが、家人に聞いても由来ははっきり分かりません。


                      その隣の更地になっているところに以前家が建っていたころ、「立派な鍾馗があがっていて、いつも『立派だなあ』と感心しながら見ていた」といいます。


                      残念ながら、どのように「立派だった」のか確かめることはできなくなっています。




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